「背番号20」 速球にかけた野球人生・・・
ドラゴンズのために・・ファンに夢と希望を与え続けたエース

小松辰雄(こまつたつお)プロフィール
■主な獲得タイトル
最多勝(1985、1987年)
最優秀防御率(1985年)
沢村賞(1985年)
最優秀投手賞(ベストナイン1985年)
奪三振王(1985年)。
■通算成績
122勝102敗50セーブ73SP。防御率3,44

生い立ち

 1959年(昭和34)5月10日、石川県羽咋市富来町出身。178cm82kg。
右投右打。1978年、ドラフト2位で石川・星稜高より中日ドラゴンズ入団。

思いでの甲子園
 星稜高時代は、エースとして甲子園に3度出場(夏2回、春1回)。2年生夏の北陸代表としては初のベスト4進出を果たす。

中日入団。「スピードガンの申し子」
中日ドラゴンズ入団後、2年目に素質は開花する。抑えとして頭角を表し、19歳で、最高球速154km/hを記録。このストレートを武器に、30イニングス連続無失点記録を樹立し、5月に月間MVPを受賞。この年、スピードガンが初めて普及し、いつしか「スピードガンの申し子」と呼ばれるようになり、剛速球投手として話題を巻き起こした。

胴上げ投手
1982年(昭和57)、近藤貞雄監督のもと、剛速球ストッパーとして、大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)戦で、ラムを直球で空振り三振に仕留めた瞬間、ドラゴンズは通算3度目の優勝を果たし、胴上げ投手の栄誉を果たすこととなる。

背番号20”襲名”
1984年(昭和59)より、引退した星野仙一以来空き番だった、ドラゴンズのエースの称号ともいうべき「背番号20」を受け継ぐ。

沢村賞獲得。エース君臨
翌年の1985年(昭和60)は、最多勝、最優秀投手賞(ベストナイン)、最優秀防御率、奪三振王(172奪三振)、沢村賞など、投手タイトルを総なめにし、名実ともにドラゴンズ、そして、球界のエースとして君臨した。

エース復活。星野監督へ監督1勝目を・・
 1987年(昭和62)、「背番号20」の先輩、星野仙一が監督就任1年目に、巨人との開幕3連戦では、チームの2連敗後、3戦目に、”最後の砦”として先発。見事、3安打完封を果たし、星野監督に記念すべき”監督1勝目”のウイニングボールを手渡すこととなる。この年はエースの貫禄を漂う安定感のある投球が復活し、ドラゴンズの背番号20を世間に再び強く印象づけた。また、この年、自身2度目の最多勝を獲得を果たす。

引退の時
 1994年(平成6)年10月20日、プロ野球選手として大きな決断をし、現役を引退することを発表。「ボロボロになるまで現役を続けたかった」という思いの中、こだわりを捨て身を引く決意をし、「いい指導者になれるように頑張る」と話した。故障と戦い、それでも”速球”を追い求め、ファンに夢と希望を与え続けてきた「背番号20の剛速球投手」のエースは、17年間のプロ野球生活をここに閉じた。

【現在】
プロ野球解説者として活躍中。

《出演番組など》
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